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寳祐山
              大法寺の沿革

 

日蓮聖人説法木座像 9寸5分
                  日法作 日蓮宗准宗宝>

日蓮聖人説法木座像 9寸5分
日法作 日蓮宗准宗宝

寳祐山 大法寺は天正10年(1582年・安土桃山時代)に開かれました。
開山上人は、後に日蓮宗の総本山である身延山久遠寺第17世になられる、慈雲院日新上人です。

大法寺開山にまつわる資料は非常に少なく詳細は不明ですが、江戸時代直前の混乱期にお寺の歴史は
始まっています。所在は当初、滝山城城下にありましたが、城主である北條氏が新に八王子城を築城
それに伴い八王子城城下へ移転。

しかし、八王子城は完成する以前に、1590年豊臣軍に敗れ落城し、上野町に移転します。

その377年後、先代住職第26世觀照院日慧上人の代、1968年(昭和43年)現在の地に移転し
まや霊園を開園します。
現住職で27世の法灯を受け継ぐお寺です。

 

 

開 山 1582年(天正10年・安土桃山時代)
開山上人 身延山第17世 慈雲院日新上人
御朱印寺領格式 徳川三代将軍より十三石拝領。本山貫首東上御巡錫の途次、道中御案内役の格式。
開基檀方 八王子千人頭 荻原甚之亟昌友(荻原頼母)
武田信玄の15歳までの 師であった武田十七代 武田刑部大夫 兼 甲斐守信昌
の曾孫で、徳川秀忠の側近。
曼 荼 羅 身延山80世 寂中院日調上人御染筆本尊
仏 像 釈迦如来木座像
祖師像

日蓮聖人説法木座像 9寸5分 日法作

「房州住人東条左衛門尉影信邸中に安置せしが、北条家に伝わりて、氏照より当寺へ寄附」
とあるが別伝に「高祖日蓮聖人鎌倉御在住の時より由来霊験著しく本山より御寄附せられし
尊像なり」とある。 いずれにしても、小松原法難の折の袈裟かけの松で作られたと伝えられ、
昭和55年5月7日、日蓮宗准宗宝に 指定された。

水子地蔵尊 昭和57年1月開眼
摩耶夫人像

平成21年5月17日 摩耶供養塔落慶式の折銅像を開眼

銅像木型に仕上げを施した木像を客殿玄関に安置

斎藤茂吉歌碑

斎藤茂吉直筆の書から転写の歌碑

「うつし身の 苦しみ歎く 心さへ はや淡々し 山のみ寺に」

昭和2年 福井県永平寺にて詠む。歌集「ともしび」所載。

昭和27年4月27日、八王子アララギ会が大法寺境内に建設。

昭和42年、上野町より移転。

当山25世、26世住職は、短歌結社「アララギ会」に所属しておりその縁あって境内へ建設された。

鈴木一念歌碑

鈴木一念直筆の書から転写の歌碑

「登り行く 阪の上にも 冬木見ゆ 月朧なる 靄立ち乍ら」

鈴木一念は齊藤茂吉の弟子で八王子アララギ会の育ての親に相当する人。
鈴木信太郎画伯の実弟。

昭和34年10月18日 八王子アララギ会 他有志が大法寺境内に建設。
昭和42年、上野町より移転。